第二部 ジェイムズ経験論の周辺

第六章 ベルクソンへの共鳴

Ⅰ 序説

 アメリカの哲学者ウイリアム・ジェイムズの考え方とフランスの哲学者アンリー・ベルクソンの考え方とが非常に類似していると見る人は意外に多い。一方はプラグマティズムの考え方を普及ならしめ、アメリカ精神の形成の思想的礎えともなった「非体系的な道遙」
(1)家にしてコスモポリタンであり、他方はフランスのエスプリを見事に彷彿させ、哲学のみならず文学や芸術にまで影響を及ぼした「ノーベル文学賞」の受賞作家であるこの二人が、哲学者というにはあまりにも才気煥発の語り部であることは誰も否定することはできないであろう。
 この二人が大西洋を中にした両大陸のその歴史的精神的土壌の違いのあるにもかかわらず、両者間に肝胆あい照らすところがあると気づいたり、あるいはそれを聞かされた場合、哲学に興味をもたない者でも、一度なりとも、彼ら二人の考え方の比較、研究をしてみたいという気になっても何の不思議でもないだろう。
 人間の叡智の一証左たる「思想」が時間的空間的領域を超えた普遍的性質をもっていてほしいと願うのは、哲学者の傾向であり、その意味からでも彼ら二人が同じ考え方をもっていたとて別段おかしくはないのであるが、思想とは常に社会思想であると確信している人にも、彼ら二人の考え方の類似性を了解してもらおうとするならば、彼ら二人が、多少のずれはあるにしても、
(2)同時代の人間であったことを指摘するのが一番いい方法かもしれない。もっとも、それについての詳しい解説は哲学史家に任せておくとしても、本章においては、この二人の時代的背景の同一性に便乗した論述方法が採用されることとなろう。
 というのは、本章は文字通りジェイムズ経験の周辺を探っており、これまでにフッサール、ヒューム、ヘーゲルと巡ってきたわけであるが、このベルクソンだけがジェイムズと直接的なコンタクトをもっていたという事実があったからである。ヒュームとヘーゲルは遙か彼方の先輩学者であった。その意味では彼らの著作を通じてしかジェイムズは彼らと繋がりえない、いわばジェイムズの一人相撲の第二部四章、五章であった。同時代的人間といえばフッサールもそうであったが、本著者たる私が本書の半分近くを割いて、その関連性を重視している程には、ジェイムズはフッサールをよく知らなかったし(まさか全然知らなかったはずはないし、『論理学研究』という名を聞いただけでジェイムズはアレルギーをおこして読まなかったのかもしれないが)、親しく話したという記録もない。
(3)
 従ってジェイムズとベルクソンの個人的な繋がりは、結果として、書簡等を通じて、まるでテニスのボレーのように相互の意見の交換がなされるところとなり、二人の思想の研究家にとって貴重な資料を提供したのである。ジェイムズ研究家として著名なR・B・ペリーの大著『ウイリアム・ジェイムズの思想と性格』にも彼らのお互いへの書簡が収められており、本章の作成にあたっても、この著に依拠しているところ大であることも、あらかじめ断っておきたいと思う。
(4)

Ⅱ 一経験論者と一形而上学者の性格

 さて、ジェイムズとベルクソンの研究家にとっては、ベルクソンがジェイムズによって世界的に知られるようになったというのは周知の事実である。ベルクソンが一八九六年に自著『物質と記憶』をジェイムズに献呈し、一九○二年にジェイムズがベルクソンに最初の書簡を送ってから、二人の交友関係がはじまり、ジェイムズの死の一九一○年までそれは続いた。
(5)
 その間にあって、ジェイムズは彼より一七年遅く産まれたこのフランスの哲学者に対して限りない尊敬を払い、自らすすんでベルクソンの考えを世に紹介したし、ベルクソンもまたこのアメリカのプラグマティストに対して他の哲学者以上の親近感でもって接したのである。この事実は二人の間で交わされた数多くの書簡によってあきらかにされているところである。
(6)
 ところでわれわれはこれらの書簡が彼ら二人の考え方の間に認められるごくわずかな差異のひかえめな批判を浮きぼりにしているというよりは、基本的に二人が同じ考えをもっていたことのお互いへの確認を示す証左となっていると見てよいだろう。その意味でわれわれはこの二人を同じ哲学的立場からの運動の参画者として一緒にすることができるのかもしれない。言うまでもなく、それは一九世紀末から二十世紀初頭にかけてブームを巻き起こしたところの「生の哲学」といわれる一つの流れである。周知の如く、この哲学的流れはヘーゲルのごとき体系的合理論的な考え方に反発して、人間存在それ自身の在り方を主として生の次元にたって復権させようとする動きであり、新カント主義がそれに失敗してからは、一層非合理主義的傾向(但し理性主義者から見ての話だが)をもつに至ったと言われていたが、私からすれば、それはいわゆる大陸合理論がうんだ反価値的亜種として位置付けられるものだった。
 従ってフランス唯心論の流れをうけるベルクソンがこの「生の哲学」者の一人として数えあげられるのは当然としても、イギリス経験論の流れを汲む経験論哲学者がこのグループとして認められる場合はほとんどなかったし、認められるとしても客分的な扱いだった。その意味では、ジェイムズ自身がその恰好の例だと言えるのではあるまいか。ジェイムズは「生の哲学」者から個別に歓迎されたことはあっても、所詮は「プラグマティズム」という別種の哲学的流れの担い手であるとの「悪い主知主義」からの認定を受けざるをえなかったのである。それでは、われわれは先程のように、ジェイムズとベルクソンを同じグループの一員として取り扱うことは間違っているのだろうか。
 確かにわれわれの一般的哲学史的常識においては、ベルクソンがフランス唯心論の系譜にある「一形而上学者」であり、ジェイムズがプラグマティズムを提唱する「一経験論者」であるとされている事実は否定されえない。しかしながら、彼ら二人の言明に直接に触れた者ならば、必ずしもそれがあてはまっていないと言うか、むしろ彼らの哲学的観点がこれまでの者と異質であると言うことに気づくのではあるまいか。その点に関しては、本書の第一部で取り上げられたフッサールも同様であると言えようか。彼らの共通点と言えば、少なくともこれまでわれわれが認識論において全く異質の方法論を展開していると見なしているところの合理論と経験論とが、いわば同じ穴のムジナであり、共にその不充分さ、不徹底さが問われるべきだとするところに見られるであろう。
 今われわれは少しばかり彼ら二人の言葉に耳を傾けてみよう。ベルクソンによれば、経験論者も合理論者も「共に部分的記号を実在的部分と取り違え、こうして分析の観点と直観の観点とを混同し、科学と形而上学とを混同している」
(7)のであった。彼にとれば、「表現や翻訳や記号的表象以外に、実在者を捉える手段があれば、これこそ、まさに形而上学であり」、「形而上学とは、だから、記号なしにすませようと志す学問であった」のである。(8)
 他方、「真の経験論とは、できるだけ近くから原点そのものに迫り、その生命を深く究め、そして一種の精神的聴診によって、魂の鼓動を感じとろうと目ざすものであった。」
(9)ここからベルクソンが「真の経験論が真の形而上学である」(10)と考えていたとしても、われわれは何も驚くにあたらないだろう。
 そしてわれわれは、ベルクソンが真の経験論といっているものが、ジェイムズの根本的経験論であり、ジェイムズが従来の経験論を乗り超えようとして言われている中身そのものであることも容易に察知できるのである。彼の言う根本的経験論、即ち哲学は実在をしっかりと把握することである。それは実在と一致することでもある。しかし彼にとれば、「実在を模写することは実際に、実在と一致する一つの大変重要な方法であるが、本質的なことでない」
(11)のであり、「事物が自己の生との内容で連続的な関係をもってい」(12)てこそ、その実在性が考えられ、実在と一致することができるのであった。その意味で、ジェイムズはベルクソンとの一致点を見いだし、なるほどベルクソンは形而上学者と言われたかもしれないが、ジェイムズ自身は『哲学の諸問題』のなかではベルクソンを経験論者の代表として列挙するに何のためらいももっていなかったのである。
 また、ジェイムズの根本的経験論が世間一般からは「形而上学的」であると言われていたのも周知の事実である。してみれば、われわれはベルクソンを形而上学者、ジェイムズを経験論者として、単純なラベル貼りをしてみたところで、不正確であるのそしりを免れえないのかもしれない。しかしながら私は、これからにおいては、一応世間の常識に従って、彼らを如上のように区別した上で、二人の考え方をより具体的に見ていこうと思う。
 さて、ベルクソンとジェイムズの共通点は、一言で言えば、ベルクソンの言うように「生命は知性を越える、されど経験を越えず」と言う立場にたった生命及び経験を大事と見る反主知主義の信奉にあったと言ってよいだろう。これはベルクソンの次の言葉からも推察されるのである。「いくえにも重なった流れであるわれわれの意識は、自分自身をその本質において認識し、またそれが触れそれが部分的に合致するところの物質をその本質において認識する。それ故、わたくしは、自分を『経験を越える生命』とは決して考えないし、絶対的実在を『もっとも鋭い直観をも越えた』ものとも考えない。生命は知性を越えるが経験を越えはしない。それは、実際には不完全なものであろうとも、限りなく完成されるひとつの直観のなかで絶対的に自分自身を把握する。」
(13)
 ベルクソンのこの見解は、ベルクソン自身が告白するように、「そこに彼(ジェイムズ)、の学説の全体と両立しないものは何も見ないし、根本的経験論の限界を超える何ものもない」
(14)のである。両者の反主知主義的傾向は図らずも、概念や論理の人間の生に対する役割を過大に評価してはならないと言う点において全く一致し、概念を単に実用的な事物として考えることによって、ジェイムズの言うように「より多くのものの黙示者としての、なまの、言語化されない生に戻ろ」(15)うとし、それによって「ロゴスないしは論理的思考を一般に真理への唯一の道として見なす哲学的伝統」(16)に対してまっ正面から挑戦することになったのである。
 さて、この時点でわれわれはベルクソンとジェイムズの考えを詳細な吟味もせずに全く同じであるかのようにして一方的にとりあつかうのは間違っているかもしれない。しかし私は本章においては、一つのアプローチの仕方としてさしあたりは両者が同じ哲学的視点にたっているとの立場にたって、むしろ両者の性格ないしは方法の違いを浮きぼりにする形で二人の関係を述べていく作業を行っていきたいと思う。
 まず、両者の性格の違いであるが、両者の考えが類似しており、たがいにそれを認めあっているにもかかわらず、両者はそれを第三者に対しては次のように言っている点は、エピソディックではあるが、面白い対照性を示しているといえないであろうか。
 すなわちジェイムズの場合は次の如く言うのである。「もし私が比較的若く、そしてきわめて独創的なフランスの著述家アンリー・ベルクソン教授によって影響をうけなかったら、未だに救われず、はればれとして論理を二次的なものにし、また論理をその正しい尊敬すべき場所をとるべき哲学のより深い領域から単純な人間の実践の世界へなげいれてはいないであろう。彼の作品を読むことは私を大胆にしたのである。もし私がベルクソンを読まなかったならば、おそらく依然としてあわされることのない結末をあわせる希望のもとに、独り無数の紙のページを書き汚し、実在と一般に認められている同一性の論理の法則との間の相違を残さぬ実在の行動を考えるある様式を発見しようと試みているだろう。」
(17)そこには誇張的とも言われるほどに、ジェイムズのベルクソンに対する依存が強調されているように見えるのである。
 他方、ベルクソンはジェイムズについては次の如くに述べているのである。「私は自分が十分に表現できないほど愛し、賞賛する哲学者ウイリアム・ジェイムズについてふれます。彼の『心理学原理』は一八九一年にでました。私の論文『意識に直接与えられているものについての試論』は一八八三年から一八八七年にかけて仕事がはじめられ、書かれ、一八八九年に出版されました。そのとき私はジェイムズについては努力と情緒のすばらしい研究以外になにも知りませんでした。いいかえれば私の『試論』における論理はジェイムズの心理学から由来していた筈がなかったのです。……さて私はウイリアム・ジェイムズとして話す資格をもっていないのですが、『ベルクソン』の影響がジェイムズの哲学の発展に際し、何の価値をもたないと言いえると信じます。ジェイムズ氏は『物質と記憶』を読んだ後、自分も数年来すでに類似した方向に研究してきたことを私に知らせてきました。それ故彼はこの本の出版を待つことなく、彼が今日歩んでいる道に入っていたのです。そして私の実在的持続の考えが『心理学原理』から由来していないのと同様に、彼のプラグマティズムが『物質と記憶』に由来しているということもないのです。」
(18)
 この二人の言明はそのどちらが正しいと指摘すべき筋あいのものではあるまい。あえて言うならば、それらが伝えている極端な見解の中間が、おそらく正しいと予想されるだけである。むしろかかる二つの言明にあらわれる二人の性格が、彼ら自身の哲学の特徴を象徴的にあらわしている、と受けとる方がより適切ではなかろうか。すなわちジェイムズは全体としてのビジョンが一致していれば、その表現が異なっていても実に寛容であると言うことであり、哲学者の論理性よりも人間性の方により重点的に哲学的表現の真の姿を見ようとしていたと言うことである。
 他方ベルクソンはこの言明によって傲慢な哲学的個性をもっていると決めつけられないであろう。ベルクソンはジェイムズと比べ、違った意味で表現されたものに対する独自性を認めていたのであり、従って表現されたものを通じて一つのビジョンを理解しようとする哲学的姿勢をもっていたのである。
 ところで、実際に、両者の思想的関係について事実として考えてみた場合はどうであろうか。おそらくベルクソンの方が自分の真意を述べていたと私には思われる。すなわち両者はともに独自の立場で自らの見解をもっていたのであり、それらの類似性について、まずジェイムズが気づき、文通等のコミュニケーションを通じてベルクソンも同意するようになり、最後には講演や講義においてお互いの相手の見解の中に自分のそれを確認するということになったのである。このことは何もジェイムズの言明が間違っていたと断定しているのではない。ジェイムズはただ、事実を大げさに、そして教えられるべき人間に対する感謝(それは人の思想に対する尊敬の念に通じる)の気持を正直に伝えたのにすぎない従って、ジェイムズの考えがベルクソニズムの全くの受けいれであるとは考えられないのは、言われるまでもないであろう。
 実はジェイムズのこのような態度は、なにもベルクソンにだけに限ってはいなかったのである。私はジェイムズの考え方を総称して「ジェイムズ経験論」と呼び、その特徴のいくつかは、抽象的事実よりも具体的事実を重んじていること、多元論的であることであるとしたのであるが、実はこれには彼の師L・アガッシ教授とC・ルヌービエからの影響が強いと言われている。それらを示す証左としてジェイムズは彼らに対し最大限の賛辞をささげ、あたかも彼らからの思想的影響がなかったならば自分の思想も全く生まれなかったかのように言わんばかりの調子のもとで表現していたのである。
(19)
 これについてはペリーは正しく次のように述べている。「ジェイムズがベルクソニズムへの改宗を告白したのは事実である。しかしこれは人格の発見と賛同をする彼の気持ちを表現するジェイムズの方法であった。同じ意味において彼はルヌービエ、ホジソン、フェヒナー……に改宗していた。しかしその師弟関係の公式はほとんどこれらの関係のいかなるものにも適用しないであろう。彼の深い感受性は彼の考えの人格的具現者、彼が愛し讃美することのできる人格的具現者を探し求めるように彼を導いた。そして彼は熱狂的な賛成の気持でもって他人の言葉を引用することによって自分の考えを説明することが好きであったのである。」
(20)
 次にわれわれはベルクソンとジェイムズの表現形態について比較してみよう。私の考えるに、この点にこそ二人の性格がもっとも対照的に浮きぼりにされていると言ってよいだろう。ペリーによれば、二人は共に深い人間性をもった人間であり、哲学者としては異常な芸術的感受性をそなえた、散文体の大家であった。しかしジェイムズはよりはば広い筆法を使い、より口語体風であり、ユーモラスであり、語勢が強いのに対し、ベルクソンの文体は簡単で、非個人的で、慎み深かった。またジェイムズは直接的に理解されることを切望し、常に聞いてもらえるようにと聴衆のための言葉で話そうとしていたのに対し、ベルクソンは体系的な諸作品をつくり、それら自身の内的要求に従って完成し、それら自身の言い方でアプローチされ研究される、不滅の業績のようなものを期待した。かかる異なった表現形態でもって二人が同じ観点にたっていたのは興味深い対象性と言われねばならない。比喩と想像力及び直観的示唆の力をもつ二人の共通の信条に従えば、「実在は分析されず、記述されえず、ただ伝えられることができるだけであり」
(21)二人はその実在を伝えるきわめて非凡な能力をもっていたのである。
 それでは彼ら二人の表現形態の違いは一体どこからきているのであろうか。おそらくそれは、ジェイムズの考えにたてば、二人の気質の違いの相違と言われるべきものに求められるであろう。そのことは必ずしもジェイムズが軽薄であり、ベルクソンが重厚であるということを示してはいない。むしろ、彼らの表現形態の違いは逆に実在が様々な形態でもって知らされるということを示唆しているとは言えないだろうか。

Ⅲ 二人の考え方における若干の違い

 さて、このような二人の性格の違いについてはこれだけにしておこう。そこで次にわれわれはおそらく前述の性格の違いに基づくであろうところの哲学に対するアプローチの仕方について触れてみよう。彼らにとって重要な観念は「実在」のそれであった。そしてそれは経験において直接的に与えられるものであり、また経験そのものでもあったのである。従って実在とは感じられるものであり、直観されるものであった。
 しかし彼らの実在に対するアプローチの違いは、ジェイムズが心理学から出発しそれを哲学にまで広げていくという過程をたどったのに対し、ベルクソンはその逆の方向をとった点に見られる。この点に関してはベルクソン自身も気づいていたようである。すなわち、ベルクソンによれば、もともと数学者であった思想家達によってつくられた伝統的哲学よりも、より真に経験的であり、意識に直接に与えられたものにより近い哲学の必要が感じられているという傾向が純粋哲学と内観の心理学との接近へと導いていったのであるが、その中にあって、心理学から出発しそれを哲学に広げていくという方法をジェイムズは採り、それに対し、自分は徹底的な研究によってあるいくつかの哲学的概念にしっかりと定義された輪郭を与えようとしたが、やがてその概念のあいまいさに気がづき、意識に直接に与えられたものを心理的に研究するという過程をたどったというのである。
(22)
 それ故ベルクソンは、ジェイムズの「考えの流れ」の記述はあきらかに心理学的な起源と意義をもっていると考え、そして自らの「実在的持続」の理論の本質とするところのものについては。哲学者や数学者に見いだされるような同質的時間の観念の批判であるという認識にたつのである。
 このことは、ペリーの言うように、意識的経験の連続性の中に「経験論の踏襲された諸困難──二元論や一者と多者の問題の如き──にうちかつ方法」
(23)を見いだすジェイムズの考え方と、意識的経験の連続性を「物理学においてであれ、形而上学においてであれ、主知主義的考えの抽象的無時間性を正す手段」(24)として用いるベルクソンの考え方という二つの方向となって展開していったと見て間違いはないだろう。
 次にアプローチの観点の違いについて述べてみよう。このとき、われわれは彼ら二人の生きた時代には生物学的進化論の流行があったという事実を忘れて、その違いを語れないであろう。私があえてここで生物学的進化論と言っているのは、進化論の考え方が他のカテゴリーの学問の用語にもなるほどに影響が大きかったからである。そして少なくもと、それは哲学の世界にも及んで、たとえば生命そのものの固有性あるいは持続性を重視するという一つの考え方となって彼らの前の時代に開花していたのである。われわれはそう言った思想を「社会進化論」あるいは「進化論哲学」と命名していると同時に、それの推進者がハーバート・スペンサーであることも知っている。当然のことながら、ベルクソンもジェイムズもこの思想家からの影響をうけており、ことベルクソンとジェイムズだけの問題に限った論述をするならば、彼ら二人の思想的独立は、いかにして「スペンサーリアン」の範から逃れるか、それ如何にかかっていたと思われるのである。
 実際、ベルクソンが世に認められるようになったのは、『創造的進化』の刊行以後からであるが、この著において彼はスペンサーの進化論を「にせの進化論」
(25)と決めつけ、それに取って代わりうる「真の進化論」を打ちたてることが、この著の意図でもあることを述べている。これには彼の次のような思いが介在していたからなのである。「前者は要するに、すでに進化をとげた現在の事象をそれに劣らず進化をとげた細片にきりこまざきその上でこれらの断片から事象を再構成するものであり、したがって説明するはずのことをあらかじめ全部認めてしまっている。真の進化論は事象をその発生し成長するままに跡づけることであろう。」(26)ベルクソンは、まさにこの思いに従って「生の躍動」の概念を導出しえたし、それ故にスペンサーから独立したのではなかっただろうか。
 他方、ジェイムズにとって最初の論文と言ってもよいのが『スペンサーの照応としての精神の定義に関する意見』であった。というのは、それまでに彼は数多くの発表をしていたものの、無記名であったか、それとも単なる書評の類のものであったからである。後にペリーによって『論文と評論』に収録されたこの論文もまた、スペンサーからの独立宣言であった。彼はスペンサーの間違った精神の定義が及ぼす影響は大きかったと見るが故に、それを「有害で」
(27)あると判断した。なるほどスペンサーにとって心的進化は生命の進化とのからみで考えられていたが、生命とは単に「内的関係の外的関係への順応」にすぎず、それが「心的進化の全課程」を含んでいると見られていた。(28)しかしジェイムズは心的活動がそのような受動的なものではなく、「考える主体の生存あるいは少なくとも身体的安全を助けるような内的関係及び反応を、外的関係に照応して確立する」(29)ことであると見なすことによって、スペンサーを乗り越えたのだった。
 ともあれ、ベルクソンとジェイムズの哲学の揺籃期がスペンサーの進化論との葛藤に終始していたことはまぎれもない事実である。彼ら二人はスペンサーの広範囲ではあるが主知主義的一面的な「生」の理解を乗り超え、スペンサーの考え方を媒介とはせず、文字通り生と密着した進化論そのものの中から直接に、自分達の真の哲学の可能性を導き出そうとしていたのではあるまいか。言ってみれば、ベルクソンとジェイムズとはこの生物学的進化論を哲学的に展開し、それぞれの「生の哲学」をうちたてようとしたのである。
 それ故に、彼ら二人の観点の違いは彼ら二人の思考的先達であった生物学的進化論に対するとらえ方の違いに起因していると見てとることもできるのである。それを最も正しく指摘するペリーの言葉をわれわれは再び借りてみよう。ペリーによれば「ベルクソンは一つの心理学的生物学を発展させたのに対し、ジェイムズは一つの生物学的心理学を発展させた」
(30)のである。
 その意味ではベルクソンの方がジェイムズよりもより生物学的な観点にたっていたのである。ペリーは続けて次のように述べる。「ジェイムズの生物学は深くダーウィン的であり、偶然的起源、変化、適応及び適者生存を強調している。他方ベルクソンはラマルクにより近く、生の衝動のタイナミックで創造的な性格を強調している。……進化の過程の一般的パターンはベルクソンにとっては分岐的であり、ジェイムズにとっては収斂的である傾向にある。ジェイムズの個体は生成中にあり、成就の到達点として先行して横たわっている。それに対しベルクソンにとっては、質的同一性の感や生の流れの感と同様に、本来的個体の感が常にあるのである。」
(31)
 これらの対照的な二人の観点は彼らの哲学的主張においてもなんらかの違いが生じてきているのは当然であろう。だがそれは合理論との違いに比べ、ほんのわずかな違いでしかない。すなわち生命や経験が第一義であって、知性や概念は第二義的であり、後者は前者に奉仕するものでしかなく、その意味で合理論とは根本的に違っていたのである。
 それでは彼ら二人の違いは具体的にどこに見られるのであろうか。すでにこれまでの論述の中に暗に含まれているように、ジェイムズは感じ(Feeling)を重んじ、ベルクソンは直観(Intuition)の働きを大事にする。前者は経験を可感的なものと見、その中にあって感じにおける経験の連続性を実在性を伝える一つの因子としてみる立場にたっている。後者は生命の本質をそれの持続にあると考え、その持続性は直観以外のなにものによっても把握せられないこと、いいかえれば直観の作用する唯一の場を実在の持続性の中に求めようとするのである。その意味ではジェイムズの方が可感的経験そのものをそのままの姿でとらえようとしたのに対し、ベルクソンは経験の本質とされているものを、いいかえれば経験の存在根拠を徹底的に見つめようとしたのである。
 しかしながら、ジェイムズにおける感じとベルクソンにおける直観のこのような理解だけで、われわれは、彼らの意味するようなものであれ、実在性という生の現象を確実に捉えることができるのであろうか。彼らがそれを確信するのは、感じであれ、直観であれ、それらが単に生物的存在にのみ与えられている生の受動的な働きとしての特性ではないと考えていたからだと私には思われる。なぜならば、ジェイムズの言う感じは反省するとまでは言えないまでも、関係や変化の感じをそれ自身において含みうる統一性と連続性をもつものであったし、ベルクソンの直観に至っては、反省そのものであり持続の中にあってもそれを自らにおいて見つめなおすことができるものであったからである。
 一般にわれわれはそのような彼らの考え方を指して、前者が心理学的であり、後者が形而上学的であると言うこともできるだろう。そして彼らのこの違いが概念に対する彼ら二人の解釈のわずかな違いともなってあらわれているのに気づかされるのである。もちろん概念とは彼ら二人にとっては実用的な事物以外のなにものでもなかった。それは生にとって目的論的道具としてしか機能しないのである。ところが概念がいかなるものであるかの説明になると、ジェイムズの場合は「連続体からの切片ないしは抜萃」
(32)と考えられていたのに対し、ベルクソンの場合は「流れの瞬間的固定」(33)と考えられていた。
 これら二つの解釈は共に概念が生命や経験の実在性をつかみえないという判断に基づいていたものではある。しかし同時にそれらの実在性を伝えるためには、前者が感じそのものである直接経験に、後者が反省そのものである直観に依存しなければならないという違いを見事に示してくれているとは言えまいか。
 ここでわれわれはジェイムズが心理学的であり、ベルクソンが形而上学的であるという点
(34)をもう少し詳しく考えてみよう。その証左を示す典型的なものは意識についての考え方、とりわけ無意識的なものについての考え方にあらわれている。この点をあきらかにするために、まずわれわれはジェイムズの根本的経験論に関する五つの論文(35)についてベルクソンがジェイムズに送った手紙の中のある見解について知らねばならない。それは次のように書かれている。「これら五つの論文は一つの完全な哲学の輪郭を含んでいます。……私は多くの本質的な点においてあなたの考えとともにすることができると思います。しかし私はあなたが『根本的経験論』の方法についてなすであろうところまではついていかないでしょう。その主なる違いは、おそらく(私はまだ確信していないのですが)無意識的なものの役割に関係があります。私は心理学の領域にのみならず、一般に宇宙においても無意識的なものをきわめて重要視せざるをえません。知覚されない物質の存在は私には意識されないところの心理的状態と同類であると思われるのです。あらゆる現実的な意識の外側にある実在の存在は、疑いもなく、古い実体論のいうそれ自身における存在ではありません。しかしながらそれは意識に現実的にあらわれているものではありません。それは両者の間の中間的ななにかであり、いつも意識され、再意識されるという立場にあるなにかであり、意識的生活と親密にまざりあったなにか、すなわち『それとまぜあわされた』ものであり、実体論がもつように『それの下にある』なにかではありません。」(36)
 このことは何を意味するのであろうか。ジェイムズにとって、当初、意識とは心理学的な概念であった。それ故彼においても専らに意識されている状態についての考察が学問的仕事となっただろう。この心理学的立場にたった場合、無意識的なものの存在性はかろうじて予想されるものの、意識的なもののみが考察されるという態度が支配的にならざるをえないのである。それではジェイムズにおいては無意識的なものが無視されていたのか、と言うとそうでもない。彼にあっては、無意識的なものは意識的なものと連続したものとしてあると考えられていたのである。丁度聴取可能なものが次第に小さくなって、聴取不可能となってもある量をもった振動数の音として存在していると考えうるように。この考えは別のところでは、辺縁ないしは包暈という概念でもって詳細に述べられているが、(37)この心理学的立場にたって考えたとしても、無意識的なものはジェイムズにあっては推移する部分の形で意識的対象として考察の対照になると考えられていたのである。
 ところがベルクソンの方は、ジェイムズが心理学的に考えられるこのあいまいな意識を実在として取り扱おうとしたのに対し、無意識なものそれ自体をも実在として取り扱いえるのではないのかという、いわばジェイムズの考えをより拡大させ徹底させようとしていたのである。ここにベルクソンが形而上学的(実際には神秘的)であると言われる所以があると言えよう。だがベルクソンのこの考えは究極においてジェイムズのそれと対立するものではなく、むしろベルクソン自身も言うように「自分の想像する以上にジェイムズの考えに近い」
(38)のである。他の言い方で言うならばジェイムズがあいまいにし結論を保留にしていた(それは少なくともジェイムズの心理学時代において正しい)ものを、ベルクソンが自身の直観的な力でもってはっきりさせたのである。
 ジェイムズに対するベルクソンのこの評価は誤っていないだろう。なぜならばジェイムズも彼の「信ずる意志」の作用に基づく実在観に従って、まさにベルクソンがジェイムズの考えを評して言うところの「まだ存在していないものとの関係によって定義さ」
(39)れる「真理」観をもっていたからである。実にベルクソンがジェイムズの考えと類似したそれをもっていると確信したのはジェイムズのプラグマティズムの真理観においてである。ベルクソンはそこにおいて「知覚されない物質の存在」がジェイムズの中にも考えられていると見、それを実在の中へくみいれる可能性を見たからである。そしてその根拠は「プラグマティズムにとっては実在は依然として生成中にある」(40)というジェイムズの言葉の理解にあったと見てよいだろう。
 厳密に考えてみた場合、ジェイムズのこの言葉は単なる実在論者としてのそれではない。ジェイムズはそこから単に真理の変わりやすさという観念を導きだしているか、真理というものは経験によって意味を賦与されるという考え方を導出したにすぎなかった。だがベルクソンの場合は、真理が変わりやすいということよりも実在そのものが変わりやすいということを強調したかったようである。従ってベルクソンは「実在的なものの変動に対してわれわれの直観能力を統制し」
(41)ようとしたのであり、その意味では単なる実在論に留まろうとしたのである。
 以上が私の現時点におけるベルクソンとジェイムズとの比較、研究の一つの結果報告である。(ただし、ほとんど二人の感想をもとにして論述されてはいるが。)二人の考え方は基本的には類似していたが故に、お互いに尊敬しあい、それ故にまた哲学上のライバルとして並び称せられるに至っている。二人は共になんらかの哲学的主張を自らのビジョンによってなそうと努力した哲学者であったが、二人の哲学的主張が同一のゴールに達するかどうかは、もう少し考慮を要するであろうし、またその歴史的審判をうけるための時間をも必要とするだろう。
 とは言え、本章もまたジェイムズのサイドから述べられており、従ってベルクソン思想そのものについてもジェイムズが共鳴を示したという事実の検証のために取り上げられている点は否めないので、ベルクソニアンから、ベルクソンがジェイムズと同一視されたことで彼の名誉が傷つけられたと憤慨されるかもしれない。というのは、彼らにとってはジェイムズは「ベルクソンの弟子」
(42)でしかなく、いかにジェイムズが形而上学的な響きを感じさせようが、その深遠さにおいても、そのテーマの純粋さにおいてもベルクソンの足元にも及ばないと考えているだろうからである。実際、哲学史的にもジェイムズよりもベルクソンの方が評価が高いといわれ、その上同じアングロ・アメリカ系のバートランド・ラッセルからも、ベルクソンはジェイムズに「影響を与えた」(43)と書かれるに及んでは、ジェイムズィアンとしては如何ともしがたいが、それは専らにジェイムズ自身の責任ではないだろう。
 だが、もしジェイムズに責任があるとするならば、それは彼が文字通り完璧な反主知主義の哲学を模索し、それに殉じたことであろう。なぜならば、その行き着く先として、知性までも敵に回さなければならなくなるジレンマに逢着するからである。確かにベルクソンも反主知主義的であった。しかし彼は究極のところ「知性の友達であって敵ではなかった」
(44)のである。それ故に、ベルクソンは知性を上手に取り扱うことができ、言葉では表現できない生における実存性をものの見事にわれわれに伝えることができたのである。
 これは、哲学を「人間の内的性格の表現」
(45)くらいにしか思っていなかったジェイムズにとっては致命的なハンディキャップとなっている。哲学とはそれほどまでに知性の力を借りなければ、その存在根拠をあきらかにすることができないのであろうか。あくまでも反主知主義的な言い回し方で自らの哲学を語ったジェイムズに心酔する者には、このベルクソンとの比較研究をしたとき程、このことを思い知らされるときはないのである。


(1)T.C.W.J., Vol.Ⅰ, p.207
(2)ジェイムズは一八四二~一九一○年、ベルクソンは一八五九~一九四一年がその生存期間であった。
(3)これについては、第一部第一章二四頁を参照せよ。
(4)本書や拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』に数多く引用されている如く、この著はジェイムズ研究家によって欠くことのできない、いわば最高権威の研究書である。全二巻で総ページにして一六一二ページにわたる厖大なもので、ジェイムズのあらゆる思想について、また彼の生涯や職務について、未発表の書簡やノート類の公開を含めて、文字通り網羅されている。私自身、一人の思想家について、これほどまでに完璧に述べられた研究書は今までに見たことはないし、私自身の研究書が気恥ずかしいくらいである。この著の著者であるR・B・ペリーはハーバード大学の哲学教授で、「新実在論」の提唱者として知られている。
(5)はじめの頃はジェイムズはベルクソンの著書にはあまり感銘をうけなかったらしい。ジェイムズの弁明によれば、ベルクソンの考えは「大変斬新で広大であったので十分理解したと確信することができなかった」(T.C.W.J., Vol.Ⅱ, p.605)のである。この数年間の空白についてはいろいろと解釈されるところであろう。しかしながら、お互いに理解しえるようになってからのジェイムズとベルクソンとの間で交わされた書簡を見ると、二人の性格がよく窺える。ジェイムズが人生の先輩であるということもあって、ベルクソンの方は学者としてのプライドをもちつつも終始ひかえ目であり且つ律儀に対応しているのに対して、ジェイムズの方は人間性まるだしである。数度のやりとりがあった後、手紙の冒頭にベルクソン教授といったように職名をつけていうのはやめると言いだしたり(ベルクソンも後でそれに従った)、ベルクソンから『創造的進化』を受けとったときは、「ウラー!ウラー!ウラー!」と書き送ったり、それを読んでからは「あなたはマジシャンです」(T.C.W.J., Vol.Ⅱ, p618.)と称えたりしているのである。
(6)なお、この他にそれぞれ相手の思想について一般向きに書かれ発表された以下の論文も二人の関係を知る重要な資料である。
W・ジェイムズ『ベルクソンと彼の主知主義』(『多元的宇宙』に収録)
H・ベルクソン『ウイリアム・ジェイムズのプラグマティズムについて。真理と実在』(『思想と動くもの』に収録)
(7)H.Bergson;La Pensée et le Mouvant,P.U.F.,1955,p.193(引用については白水社刊の『ベルクソン全集』第七巻、訳者矢内原伊作氏訳による。)
(8)ibid.,pp.182-183
(9)ibid.,p.196
(10)ibid.
(11)Prag.,p.140
(12)P.P.,Ⅱ,p.298
(13)H.Bergson;Écrits et Paroles,P.U.F.,1957,tome Ⅱ(abbr.Écrits et Paroles),p.345(引用文については白水社刊の『ベルクソン全集』第八巻、訳者花田圭介氏訳による)
(14)ibid.
(15)P.U.,p.272
(16)ibid.
(17)ibid.,p.214
(18)Écrits et Paroles,pp.238-239
(19)たとえば、アガッシに関しては次のように述懐する。「私がアガッシと過ごした時間は、あらゆる可能な抽象論者と世界の具体的充実に照らされたあらゆる生活者との間の違いを私に教えたので、私はそれを決して忘れることはなかった。」(M.S.,p.14)また、ルヌービエに対しては「彼のすばらしい多元論の主張によって私に与えられた決定的な印象がなかったなら、私はそれまで育ってきた一元論的迷信からのがれえなかったかもしれない」(S.P.P.,p.165)と述べている。これらについては拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』(法律文化社)の第一章を参照せよ。
(20)T.C.W.J., Vol.Ⅱ, p.601
(21)ibid.
ここで、ペリーが「記述されえず」という言葉を使っているのはどういう意味なのか、私にはわからない。「記述されえず」とは「定義されえず」のことであるとして私は理解したい。
(22)Écrits et Paroles,p.239
(23)T.C.W.J., Vol.Ⅱ, p602.
(24)ibid.
(25)H.Bergson;L'Évolution Créatrice,P.U.F.,1948,p.x(引用文は岩波文庫版、訳者真方敬道氏訳による。)それのみならず、ベルクソンはスペンサーの考え方は進化論の名を冠していたが、「そこでは生成も進化も問題になっていなかった」とさえ言う。「スペンサーの方法がもちいる技巧は、進化しとげたものを砕いた紙片でもって進化をもとどおり構成することである」として、「寄せ紙細工で苦心している子供」の行為に例えたりして、批判しているのである。(同書、三六三頁を参照)
(26)ibid.
(27)C.E.R.,p.43
(28)ibid.,p.44
(29)ibid.,p.46
(30)T.C.W.J., Vol.Ⅱ, p.602
(31)ibid.
(32)ibid.
(33)ibid.
(34)もちろんわれわれはジェイムズが『心理学原理』の著者であるということも、ベルクソンが形而上学を「直観に訴える学」であると言っていることも知っている。
(35)これらの論文は、後に(一九一二年に)、ペリーによって、他の数編とともに『根本的経験論集Essays in Radical Empiricism』として編集され、出版された。
(36)Écrits et Paroles,p.235
(37)私はジェイムズの考え方、いいかえれば根本的経験論が「辺縁(fringe)の哲学」ないしは「包暈(halo)の哲学」と言った洒落た名前で呼ばれうるのではないかと思っている。ジェイムズは、彼にとっての心理学的な用語であったこれらの言葉のもつ意味を重視することによって、哲学的対象、形而上学的対象を実在的なものとする手がかりをえようとしたようである。詳しくは拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』の第二章、第六節を参照せよ。(もっとも、これについては、すでに本書の第一部においても、現象学的観点からのアプローチを試みているが。)
(38)Écrits et Paroles,p.235
(39)La Pensée et le Mouvant,p.246
(40)Prag.,p.167
(41)Écrits et Paroles,p.261
(42)ジェイムズとベルクソンとの間の思想上の類似性が喧伝された頃、どちらが影響を与えたかについて話題になった。この言葉は『哲学における一つの革命』と題するフランス人P・グランジャンのベルクソン紹介書に記載されているのを、『ウイリアム・ジェームズの哲学』(白日書院、昭和二三年発行)の著者今井仙一氏が紹介していたので、そこから借用したものである。尚、今井氏のこの本の第一一章には『ジェームズとベルクソン』が収められており、本章ができあがるに際し大いに参考になった。
(43)B.Russell;History of Western Philosophy,George Allen & Unwin,1971,p.756
(44)T.C.W.J., VolⅡ, p.634
(45)P.U.,p.209

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